2016年1月25日(月)新日本プロレスの事務所で、中邑真輔の新日本プロレス契約解除・退団についての記者会見が行われました。
新日本プロレス 2016.1.25
■中邑真輔 新日本プロレス退団記者会見
菅林会長:リリースの通り、今月いっぱいで中邑真輔選手が退団することになりました。残念ですが次のリングでも中邑選手らしい闘いをしてくれることを願っています。
中邑真輔:今月1月残り2試合で新日本プロレスを退団させていただきます。非常に大きな大きな決断でした。この決断を了承してくださり、かつ壮行試合と非常に新日本プロレスには感謝しています。2003年に入団し苦楽を共に歩んできた菅林さんをはじめ、社員の皆様選手関係者の皆様、そしてファンの皆様には非常に感謝しています。ありがとうございます。今後は新たな刺激、環境、舞台を求めて挑戦し続ける所存であります。あら種無してありがとうございました。
Q:新日本プロレスでやりたいことはやりつくした?マンネリは感じていた?
中邑真輔:退団を決意した事に関しては1つの理由だけでは無い。自分の年齢も含め、新日本プロレスで成長する上で培ってきた価値観や感情などを総合して今しか無いと。
Q:退団を決意した時期は?
中邑真輔:悩んでいたのは2年くらい前、決意したのは昨年11月あたりでしょうか。2015年における新日本プロレスでの試合というものは100%以上のものを求めて、自分としては特別な人とやりあえた。1月4日の飯伏幸太から、12月18日の田口隆祐との試合まで。
Q:アメリカのリングではマイクアピールが大きく、新日本と比べて自由にできないが気がするが?
中邑真輔:どういう状況下においても、そこに落とし込める遊びがあるのであれば。いかに小さい隙間でもあっても、そこに全人格、全中邑真輔を投影する。これまでもそうしてきたので、これからもそうする。
Q:ライバルだった棚橋選手に一言
中邑真輔:直接言います。
Q:新日本プロレスで過ごした時間は?
中邑真輔:自分で言うのもなんですが、こんなレスラー他にいなかったと思う。デビューまでの経緯から、デビューしてからの数々の挑戦。もう時代が変わった分けでは無いが、全てが自分にとってかけがえの無いものだった。当時は死に物狂いでやっていた。今の新日本は何があってもチャンスを自ら作り、かつ掴める舞台になっていると思う。
Q:IC王座のベルトについて
中邑真輔:ベルトに関しては返上という不本意な形になってしないましたが、新しい価値観を創造できたって部分では、自分の誇りであるのは感じます。
Q:残り2試合の対戦相手について
中邑真輔:年間100試合以上、それが2002年から13年、誰も彼もゆかりというか仲間兄弟と思っているが、その中でも所沢・後楽園で戦う人間は、非常に自分のプロレスラーとしての物語の中で重要な役割をしてきたメンツなので。リングに立ってみないとわかりませんが、いろんな感情が起こるんだろうなと。非常に楽しみです。
質疑応答の後、IWGPインターコンチネンタル王座のベルトの返上が行われました。
最後菅林会長より花束が贈られた。
(情報:新日本プロレスワールド)
偶然でしょうが、中邑の退団記者会見がロイヤルランブルPPVの裏で行われるとは……。