ノアに参戦するコーディ・ホールは何時新日本プロレスを退団したのか、そして鈴木軍入りをしたザック・セイバーJr.、その理由は?
週刊プロレス 2017.4.5
■ザック・セイバーJr.&コーディ・ホール
2015年から練習生として新日本プロレスに加わったコーディ・ホール。同年1月5日の後楽園ホールでは、バレットクラブのヤングボーイとして紹介されました。そして2016年4月の両国大会でセコンドとして登場していたホールは、ニック・ジャクソンの場外の入場口上からのスワントーン・ボムを頭で受けてしまい、その後長期欠場となっていました。
そして2017年3月13日(月)、プロレスリング・ノアの内田会長がコーディ・ホールのノア参戦を明らかにしました。当初はコーディ・ホールがノアに定期参戦するかどうかを確かめる為に、1度ノアのリングに上がってみるという話で4月11日・14日の2大会のみでしたが、3月25日(土)ノアの後楽園ホール大会でコーディ・ホールのグローバル・タッグリーグ2017参戦が発表されました。
そんなコーディ・ホールのインタビューが4月5日(水)発売の週刊プロレス 1898号に掲載されました。そこでホールは、2016年11月で新日本プロレスとの契約が終了し、そのまま退団していた事を明らかにしました。そして1つの団体にとどまる事がゴールでは無いので、一つの区切りとしてリセットするのもアリかなと思った。新しいチャンスが欲しいと思った時、ノアから話が来たとも話しています。
またニックのスワントーン・ボムを受けたホールは脊柱管狭窄症と診断され、6月に手術を受けていたそうです。手術から2ヶ月後にはトレーニングを再開していたとのこと。そして今年の2月17日英国のWAW(WWEスターのペイジの両親の団体)で試合復帰となりました。
そして2015年いっぱいでプロレスリング・ノアから離脱したザック・セイバーJr.は、今年の3月6日(月)旗揚げ記念日 大田区大会で新日本プロレス・デビューしました。ノアに参戦していた時は、ノアを侵略する鈴木軍に抵抗していたザック、しかし旗揚げ記念日で柴田勝頼のブリティッシュ・ヘビー級王座に挑戦したザックは、鈴木みのるのアシストで勝利。その後鈴木軍入りを明らかにしました。
そんなザックのインタビューも週刊プロレス 1898号に掲載され、新しいレベルに進歩する事を考えていたザックは、鈴木軍が新日本プロレスを侵略しようとしているのを見て、鈴木軍と一緒に新日本プロレスを制圧しようと思って鈴木軍入りを決断したのだそうです。
昨年10月に鈴木みのるは英国団体のWCPWに出場しましたが、どうやらこの英国遠征で何かあったようです。
(情報:週刊プロレス 1898号)
昨日の敵は今日の友って事かな?