カールが語る!バレットクラブ成功、去り行くデヴィットの事

バレットクラブ カール デヴィット

カール・アンダーソンが米国のインタビュー語る、バレットクラブの成功や新日本を去って行ったデヴィットの事など。赤裸々告白です。


WRESTLING INC 2014.12.25
バレットクラブ共同創設者カール・アンダーソン、いろいろ語る
(Bullet Club Co-Founder Karl Anderson Talks Comparisons To NWO, Prince Devitt Leaving For WWE, More)

カール・アンダーソンは “サム・ロバーツのプロレス Podcast” に出演して、バレットクラブの成功やその他の話題について語りました。


ロバーツ:バレットクラブの人気は、nWoやクリックを彷彿とさせるからだと思うけど?

カール:私もそう思います。最初に、私たちはやりたい事は何でもやりました。本部と一緒に考える事はしませんでした。
メンバーは皆nWoが好きでしたし、彼らを見ながら成長しました……。スコット・ホール(スコット・ホールにいつもツイッターで伝えていた)は、我々のやっている事を喜んでくれました。彼らがバレットクラブの道を作ってくれたと思っています。


ロバーツ:色々なレスラー達が「Too Sweet」ポーズを使っているが?

カール:バレットクラブがそれをプロレスに蘇らたと言っても過言ではない。トリプルH、ケビン・オーウェンス、ヒデオ・イタミ、フィン・ベイラーがそのポーズをしている写真を見るのが好きです。


ロバーツ:プリンス・デヴィットが去った時はどうだった?

カール:彼がバレットクラブを去った時は、特に将来について心配しませんでした。
(そして彼はNXTのフィン・ベイラーとなってしまった)
AJスタイルズが入ってきて、直前に ファーグ(プリンス・デヴィット)は去ってしまった。彼は我々にスィートで白と黒の骨のシャツを残して行った。そしてそのグッズが凄い勢いで売れているのを知っていました。

それがバカ格好良いTシャツだったので、私たちの人気が海外まで広がったんだと思います。
しかしファーグが去ろうとしたとき、私はうろたえませんでした。彼は世界で最高のレスラーの1人だと思います。そんな彼は私の親友です。マジで凄いヤツだぜ!でも私たちは大丈夫だと思ってました。


ロバーツ:バレットクラブについて

カール:日本で起こったヒール熱狂が、早い段階で海外で広まるのは重要な要因でした。
2008年に新日本プロレスでデビューした時は、プリンス・デヴィットとマシュー・ブルーム(Aトレイン、ジャイアント・バーナード、テンサイ)と働いていました。そのとき会社からは単に「外国人」と言われるだけでした。

大体15人ほど外国人がいて、この頃のファンはもっと海外から選手を受け入れるよう求めていました。
今では大都市でバレットクラブのTシャツを着ていると、ファンに囲まれて歩く事が出来ないくらい日本で人気です。


ロバーツ:WWEへ行きたいと思う?

カール:WWEに行きたく無いという人は、たぶん多く存在していると思います。今の職場が好きだし、別にTNAやWWEに行かなくても大丈夫です。
(情報:WRESTLING INC


a href=”https://twitter.com/WPW_News” target=”_blank”>青空プロレスNEWSのツイッターで最新情報をチェック!

[njpwbc01]