2月22日、DDTプロレスリングの事務所で記者会見を開いた飯伏幸太は、DDT、そして新日本プロレスとの契約終了を発表しました。そしてスポナビに掲載された飯伏幸太のインタビューで、契約終了に至った経緯を話していました。。
スポーツナビ 2016.3.4
■飯伏幸太、2団体所属終了の経緯を語る
3月8日(火)スポーツナビに、2月22日(月)で所属していたDDTと新日本プロレスとの契約を終了し、飯伏プロレス研究所(仮)を立ち上げた飯伏幸太のインタビューが掲載されました。飯伏はこのインタビューでDDTと新日本プロレスとの契約を終了するに至った経緯について語りました。
以下はインタビューの要約となります。
2013年10月にDDTと新日本プロレスの2団体所属となった飯伏幸太は、当初新日本プロレスでは新日本のスタイル、いわゆる正統派スタイルを、そしてDDTでは路上プロレスや変則的なスタイルの2方向でやっていきたいと考えていたが、最初は問題なかったものの1年を過ぎた後、DDTでもKO−D無差別級王座の挑戦があったりと両団体で同じスタイルになってしまった。しかも両団体でそれぞれスタイルを使い分けをしなければならなかった事が2倍以上の大変さになってしまった。それが精神的な疲労につながり、モチベーションが上がらない状態になってしまった。それが疲労や肉体的なダメージに繋がり、DDT広島大会の欠場になってしまった。そして最終的に2015年に発表された頸椎椎間板ヘルニアにつながってしまったとのこと。
しかし治るはずのないヘルニアが、欠場してから4カ月で治ってしまったとのこと。とは言え欠場してから足首、手首、指、腰、肘などが痛み出し、今でも腰には一番痛みが残っているとのこと。
具体的に何が問題で契約終了となったかと言う表現はインタビュー中にはありませんが、結果的に2団体分以上の負担となって精神的、肉体的な疲労が想像以上に溜まってしまった事が契約終了につながったようです。
また1月いっぱいで新日本プロレスを退団し、WWEに移籍した中邑真輔に対しては、フリーの立場となったので、WWEに出場する可能性もなくはないと話していました。
契約終了の経緯の詳細、飯伏プロレス研究所(仮)のこれからについて、もっとたくさん話しているので、続きはスポナビでご確認ください。
※参考:飯伏幸太が4月に米国インディ団体EVOLVEに出場へ!
(情報:飯伏幸太、2団体退団の本音(前編)、(後編))