[新日本プロレス] ロウ・キー、新日本プロレスに出場しなくなった経緯を語る

ロウ・キー

2013年の1.4東京ドームを最後に、新日本プロレスに出場していないロウ・キー。その経緯をロウ・キーは話しています。


RealSport 2017.8.8
ロウ・キー、新日本プロレスに出場しなくなった経緯を語る

2013年1月4日(金)のレッスルキングダム in 東京ドームまで新日本プロレスに参戦したロウ・キー。その後全日本プロレスに参戦するも怪我により引退。その後も復帰と引退を繰り返し、現在はGFW/インパクト・レスリングに出場し、そしてLAXのメンバーとなっています。

そんなロウ・キーは、2013年1月4日を最後に新日本プロレスに出場しなくなった経緯をRealSportのインタビューで語っています。
ロウ・キーによると、そのきっかけは2012年10月30日(火)のRoad to パワー・ストラグル 福島・鶴ヶ城体育館大会の出場を拒否した事で起こりました。
2011年3月11日(金)の東日本大震災により、福島第一原子力発電所の事故が発生しました。ニュース等でこの件を調べたいたロウ・キーは、福島での大会に参加する事を拒否したとのこと。
当時ロウ・キーはIWGP Jr.ヘビー級王者でした。ロウ・キーは “不安があるので、そこでは試合がしたく無い” と新日本プロレス側に主張。すると新日本プロレスからは、もし福島大会に出場しないのであれば、1年間出場出来なくなると言われたそうです。
ロウ・キーは身の安全を考えた上での決断と、そして自身の出場は新日本プロレスの観客動員にも貢献していると考えていたので、この新日本プロレスの反応はそれを無視して自分を軽んじていると思ったとのこと。
結局福島大会を欠場したロウ・キーは、その時すでに出場の契約をしていた2013年の1.4東京ドームが、新日本プロレスでのラストマッチとなってしまいました。
(※RealSportはロウ・キーの主張が事実か新日本プロレスに確認しているが、まだ返答は無いとのこと)

2012年11月11日(日)のパワー・ストラグル 大阪大会で、プリンス・デヴィット(元フィン・ベイラー)に敗れIWGP Jr.ヘビー級王座から陥落したロウ・キーは、翌年の1.4東京ドームで飯伏幸太を含め た3WAYとなったIWGP Jr.ヘビー級王座戦に出場しました。
この日ロウ・キーは、スーツ姿の “ヒットマン(エージェント47)” のキャラクターのコスプレで登場しました。ロウ・キーはこの事を事前に新日本プロレス側に伝える事はしませんでした。それは新日本プロレスに対する抗議だったからだそうです。ただしヒットマンとしてなく、プロフェッショナルとしての講義が込められていたとか。
当然事前の説明もなく、通常のコスチュームで登場しなかった事に新日本プロレスは不満だったそうです。

ロウ・キーは試合前の控え室でこのコスチュームに着替えました。そして対戦相手のプリンス・デヴィットと飯伏幸太に、拳銃を取り出して見せたそうです。すると2人は “何をしようとしているんだ?” という表情をしていたとのこと。
試合はデヴィットが飯伏幸太に雪崩式ブラディサンデーを決めて勝利し、Jr.ヘビー級王座を防衛しています。

ロウ・キーと新日本プロレスは、この件で悪化した関係は長い間続いているそうです。新日本プロレスは選手が復帰する事にはオープンだが、それはロウ・キー以外の選手の事だとか。

(情報:RealSport)


※あくまでもロウ・キーの主張なので、これが全て事実かは分かりません。事故から18ヶ月後の福島で試合をさせるのは問題があるかもしれないので新日本プロレスに事実を確認しているとRealSportは主張しています。
同じ福島といっても事故現場から鶴ヶ城体育館は、実際かなり距離があります。それに新日本プロレス側の主張はないので、フェアではないと思うのでその点を心に留めておいていただければ。